2012年7月27日金曜日

「偽ならば真」は、真

えー、前回のタイトルは「マイRVR、怒り頂点に達す」でした。・・・実は、「マイRVR、怒り心頭に発し、怒髪天を衝く」としようと思っていたのですが、「怒り心頭に発す」も「怒髪天を衝く」も激しく怒るさまを表す言葉で別に髪が伸びるわけじゃなく、そもそも・・・ということで、前述の「怒り頂点に達す」に落ち着いた次第。いやいや、タイトルだけ妙に格調高くても中身は駄文ですからね。

さて、本日のお題は「『偽ならば真』は、真」であります。まあ、なんのこっちゃのヒトが多いと思いますが、古典論理学の世界において、「真ならば真」は真、と「偽ならば偽」は真、は非常にわかりやすいものの、「真ならば偽」は偽、で、「偽ならば真」は真、は頭のこんがらがる最たるものといえるでありましょう。「真ならば偽」は偽、の方は少し考えれば納得がいく感じですが、問題は、「偽ならば真」は真、の方でしょう。この場合の「ならば」は「含意」なのだと言い換えても、「偽は真を含む」は真だ、では余計にわかりませんね。「偽ならば偽」は真、といっしょにして、後件の真偽にかかわりなく、前件が偽である場合、論理式は全体として常に真である、としてもわからんものはわからん、という感じではあります。

しかし、ここ重要ですから。

前件、つまりならばの左側、前提と結論という見方をすれば前提、原因と結果という見方をすれば原因が間違っている場合、正しい論理展開の下で導き出された後件、つまりならばの右側、結論であり、あるいは結果であるものは、正しくても正しくなくても全体として整合する、ってことなのです。

おもしろいですね。

え、これが何の役に立つのか、ですって?
そんなこと、考えたこともありませんでした。でも、ちょっと待ってくださいね。これ、何かの役に立たないといけないでしょうか。別になんの役に立たなくてもいいような気がしませんか?

んー、とりあえず今日はこれくらいにして役に立つ例はまた考えることにします。

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